betaNode::2008-11-25

歴史観における言論の自由と思想の自由について

各国においては歴史観について言論の自由は大いに制限されており、その結果として思想の自由にすら制限があるようでございます。

ヨーロッパ諸国では、ナチスの悪行について「本当のところはどうだったのか」を研究することだけで犯罪になる国もありますし、東アジアでは日本軍の悪行についての意見表明が、犯罪ではないにしても社会的にパージされる要因となっております。

一方、北米ではどうなのかというと、太平洋戦争での弱いもの叩きの是非などがそれにあたるわけでございますが、異論はどうしても吹き出てくるわけで、このようなお話があるそうです。

とはいえ、「静かに盛り上がっています」というのは、実態として何もございませんとか、そうあってほしい願望の表明でしかないわけで、どうなんでしょうね。

タブーなく、感情的にならず、信頼性の高いファクトを積み上げて、歴史を議論していく。そういう姿勢を、日本は西欧社会から学んでいく必要があるのではないかと思います。

そういった姿勢を持つことには大いに賛同できますが、西欧社会でそれが出来ているというご意見には賛同しかねるところです。

件の田母神氏の論文は、歴史的事実については誤認や誤解、不正確な認識および誤謬が満載というこまったことになっているため、「もう少し勉強しましょう」というのはあるにせよ、先人を悪鬼のごとく扱うのは感心しないという点についてだけ同意できるところではあります。

まあ、あの事態を引き起こした根本の原因であるところの者達が、おもいっきり後ろ指差されるべきではあるのですが、マスコミはいつものようにそれをスルーしているので残念ですね。

警察ネタの過剰 - 池田信夫 blog

要するに、日本のメディアは本質的には大衆紙なのだ。これは新聞が最大1000万部近くも売れている状況の必然的な結果ともいえるが、すべてのメディアがSunになってBBCが皆無なのは困ったものである。

ええ、まったくもって実に困ったものですよね。

で、その大衆紙が赤字だそうですよ。大衆紙は大衆に飽きられているようで結構なことですね。

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